公開日:2024/07/18
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このブログの投稿者であります、イエモトチモの代表の森田尚宏(もりたなおひろ)と申します。ホームページ公開から半年以上経過し、お客様からの電話、メールのお問い合わせも増えてまいりましたので、 少し長くはなりますが、私の自己紹介をまずは記念すべき第一回のブログと言うことで投稿します。あまりにも長くなりすぎて何人の方に読んでいただけるのか不安ではありますが、何部かに分けて投稿いたしますので、どうぞよろしくお願いいたします。
私は昭和48年12月5日に群馬県群馬郡群馬町で生まれました。トリプル群馬と言われて、よくネタにされていた町ですが、内閣総理大臣を生み出しており、知る人は知る町であります。平成の大合併で高崎市に加わり、私の出生地は現在は群馬県高崎市足門町になりました。その群馬町で生を受け、残念ながら母は私を産んでから数ヶ月で他界しまして、ほぼ祖母に育てられました。25歳で妻(私の母)を亡くした父は、私が幼い頃には、ほとんど家にいた記憶がありません。考えるとその頃はバブル前?高度成長期末期?なのでしょうか。どんな企業もとても忙しく動いていた時代であり、私以外の家庭もそうだったのだと思います。 母親がいない状況で祖母に育てられた私。もう記憶もうすいのですが、保育園に入園した頃には違和感を感じた様です。私以外の全ての子供に母親がいる。私だけはいつもとなりにおばあちゃん。なんとなく生とか死を普段の生活のなかで自然と学んで、私には母がいない、亡くなったんだとどこかで気付いてました。お母さんはいない。それがまた、幼い頃はなんとなく恥ずかしく、またいじめられるほどではないですが、その事で嫌な思いをする事も多々あったのも記憶しております。
誰に母がいようがいなかろうが、そんな事は関係なく月日は流れます。気付いた時には父親が再婚してました。確か保育園の年長時で小学校入学式前だと思います。当時はまだ、離婚、再婚の家庭は今ほどなく珍しかったので、周りの同級生ももちろん気づいていたのですが、数十年経ったいま、私の家庭の話をしても全く記憶にない当時の友人方がほとんどであり、自分が気にしているほど、周りの人間は記憶も気にしていないのだなと改めて思いました。再婚した育ての母との関係も上手く行き、なんとか歳を重ねました。大人になった頃には死別、再婚に関しての恥ずかしさも全くなくなり、興味本位で聞いてくる方も中にはいましたが、命懸けで産んでくれた産みの母親、その代わりに育ててくれた祖母、ある日から家族の一員になり優しさと厳しさで育ててくれた育ての母。誰1人恥じる事なく、むしろ自慢の家族です。祖母は20年以上前に亡くなりましたが、育ての母も父親も元気に、元気すぎるくらいに暮らしております。ここから先は長くない人生だと思い、母に感謝の気持ちで還暦の際に電気自転車をプレゼントしましたが、まだまだ動けるのに!と思ったようで、気に入らなかっったらしく、その時の喧嘩が母との人生で一番の大喧嘩だったと思いますし、今後越えることもないでしょう(笑)
と、そんな具合で祖母、父、母に育てられ、腹違いの弟と妹も生まれ幼少時代を過ごしていきました。
長々と書きましたが、まずは私の自己紹介を幼少期まで投稿させて頂きました!
次回は…
なるべく今月中に投稿致します♪